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復興へと歩み続ける宮城県

Travel    • 2018年01月06日

Text: Le Mai, Nguyen Dinh/ Photo: Nguyen Dinh/ Translator: Le Mai
Cooperation: Miyagi Prefecture, HIS Song Han Viet Nam Tourist

2011年3月11日の14時46分(日本時間)、日本の観測史上で最大のマグニチュード9.0の地震が発生しました。そして、高さ20メートル以上の津波が日本の東北地方を襲ったのです。死者は15000人以上、行方不明者は約2.600人。これは人類の歴史上、最も酷い災害の一つとされました(2015年3月の資料による)。大震災で被害を受けた地域の中で、最も被害が甚大だったのが宮城県でした。2016年9月までの調査によると、死者は10.553人、行方不明者は1.235人、全壊の建物は82.999棟にのぼりました。あの日から5年、私は、宮城県は大震災の跡しかない場所で、だれもが別の場所へ移住してしまったのだと思っていました。しかし、宮城県に実際に訪れ、立ち上がり復興へと向かう今の宮城県と、明るい人々に触れ合うことができました。私は感動し、自分の人生の価値観も見直す機会になったのです。

miyagi

(Photo: Nguyen Dinh)

新石巻魚市場

水産業がさかんな宮城県は、漁場や魚市場などが県内の海沿いに点在しています。大震災が起きたとき、そこは大きな被害を受けたのです。そのうちのひとつが、8.6メートルの高さの津波が襲い、大部分を流された石巻市にある石巻魚市場。大震災以前、この市場は長い歴史があり、マグロ漁や海産物の競売、魚祭りを行うなど、とてもにぎやかな市場でした。しかし、津波によって、東洋一といわれていた水揚棟(654㎡)が完全に崩壊しました。

新石巻魚市場

現在のにぎやかな新石巻魚市場 (Photo: Nguyen Dinh)

津波で全壊状態となった市場は、4カ月後、簡易テントで水揚げを再開。そして震災から4年半を前に、全施設が復旧完成し、2015年9月には全面的な再開を果たしました。「新石巻」という名前を付け、約880㎡に拡大し、世界最大規模ともいわれています。建物の規模だけではなく、中には放射能をチェックする機械など、水産品の品質をチェックする最先端の設備も揃っています。

繁忙期は毎日5.4トンもの海鮮を取り扱います。中でも、漁獲量が一番多いサバは、日本国内だけでなく全国や海外にまで流通しています。新石巻魚市場から輸出している国のひとつに、ベトナムもあります。

新石巻魚市場

競売にかけられるのを待っているサバたち (Photo: Nguyen Dinh)

こちらに見学に行った際、社長が震災時の市場のようすの写真を見せてくれました。それを見て、4年半後、こんなにも先進的な市場になったことに、本当に驚きました。市場を再建しただけではなく、前よりも素晴らしいものを造った新石巻魚市場の人々を尊敬しました。現在、一般の人の市場の見学も行っています。ここに来たら皆さんは、非情な運命に屈しない市場の方々の話を聞くことができますよ。

末永海産株式会社

石巻市にある末永海産株式会社は、1975年に創業し、もともと未加工の新鮮な海産物を取り扱っていました。震災前は、素材本来の美味しさをお客さんに届けたいという意志のもと、加工していない海産物のみを扱っていましたが、震災後、食糧不足になり、新しい分野の加工食品に取り組むことにしました。潮煮や炙りカキ、ほたてなどの商品をどんどん開発し、出荷する市場は国内だけにとどまらず、ベトナムも含めた外国にまで及んでいます。

末永海産株式会社

末永海産の工場内の先進的・衛生的な設備 (Photo: Nguyen Dinh)

大震災の日について、末永海産株式会社の社長はこう語ります。「震災前にも、私たちは工場の設備や商品の開発など、いろいろなことをやろうと考えていましたが、まだできていませんでした。大震災で、工場は酷い被害を受けましたが、これは0からのスタートではなく、前よりさらにいい会社を作ろう、と考えました。そして、末永海産と他の5社が協会を作り、復興に向けてお互いサポートしあっています。」

末永海産株式会社

会社のメインとなる商品の一つ、新鮮なカキ (Photo: Nguyen Dinh)

今の工場は、カキをおいしく保存するための海水浄化ラインや、成分検査室などの設備を構え、さらに、衛生管理に関する厳しい規則も作っています。社内には、品質の基準をクリアした魚介を育てているチームもいます。2016年に、会社は一般社団法人大日本水産会から、国際的な食品衛生管理方式「HACCP」を取得しました。それは、宮城県の水産品は安全であると、日本国内の信頼を取り戻すことにもつながったのです。

Fisherman Japan

2014年7月からスタートしたこのグループは、宮城県の南三陸や石巻地方の漁業者などからなり、日本の水産業の形を変えて、おいしい海産物を全国へ、そして世界へ届ける、という目的をもっています。昔から、漁業といえば「きたない、きつい、きけん」3Kだといわれていましたが、カッコいい,稼げる,革新的という新3Kのもと、次世代が憧れる水産業の形を目指しています。

Fisherman Japan

漁師体験を案内してくれた漁師の高橋さん。とれたての魚介をBBQに! (Photo: Nguyen Dinh)

その目的を達成するために、FISHERMAN JAPANはセミナーの開催や交流会など、さまざまな活動を行っています。グループのメンバーは地元のほたて漁師やカキ漁師などをはじめ、いろいろな場所からきて様々な経歴を持ち、仕事も様々な業種の人々です。グループのビジョンは「2024年までに、多様な能力をもつ新しい職種「フィッシャーマン」を1,000人増やすこと」です。現在は、ハノイにある3つのレストランへ定期的に海産物を輸出しています。観光客向けの漁業体験の活動も行っています。

南三陸の漁村

南三陸の漁村風景 (Photo: Nguyen Dinh)

株式会社佐浦

宮城県の塩釜市には、「鹽竈」という1000年も前から神様をお祀りしている神聖な神社があります。神様のおかげでおいしいお米や水ができ、そして、職人の高い技術によって、高品質のお酒をつくることができます。鹽竈神社にいる神様への信仰のため、お酒を供えている酒蔵のひとつが、1724年に創業した株式会社佐浦。292年に渡る歴史の中で、今は13代目になっています。

株式会社佐浦

19世紀から続く老舗酒蔵の内部 (Photo: Nguyen Dinh)

2011年の大震災で倒壊した200棟の蔵元の中に、佐浦もありました。約30万円相当の酒瓶は割れましたが、幸いにも、19世紀に建てられた佐浦の建物は、強靭な柱で支えられており、ほぼ被害がありませんでした。震災後、酒造りを素早く再開し、売り上げの利益を塩釜市に寄付しています。それは「地方の漁業を回復させ、食文化を発展させたいのです。そうすれば、酒業も発展する」という理由だそうです。

株式会社佐浦

隣の店で日本の伝統的な酒を購入するKilala編集者 (Photo: Nguyen Dinh)

佐浦の案内の方は、やさしくお酒が香る酒樽のところへ私たちを連れて行ってくれました。ここでは、日本やアメリカのコンテストで賞をとった佐浦の純米酒や原酒など、様々な伝統的な酒造りを体験したり、お酒を試飲したりすることができます。

LE MAI, NGUYEN DINH/ kilala.vn

仙台空港は宮城県名取市にあります。日本の東北地方の中心地にあるので、仙台空港は北の地方や東京行きの便へ乗り換えるのにもっとも便利な空港です。東京便は毎日ANA2便(新幹線は80便以上)あります。

フライトの情報はこちらへ:

https://www.sendai-airport.co.jp

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