Tran Thi Thu Huong (29才)
———日本留学を志したきっかけを教えてください。
大学に入るまで、実家であるNam Dinh省におり、数学を中心に勉強していました。同じ数学系の先輩で留学した方に憧れており、日本には限らず、「留学したい!」と思っていたんです。国費留学するためには、まずベトナムの大学に入らなくてはいけなかったので、通信大学に入りました。留学先は、日本とシンガポールの二つを受け、日本の方が先に結果が出たので日本に決めたのですが、経済発展、文化的な面でもとても興味がある国でしたね。ベトナムの大学では電子工学を学んでいましたが、東京大学の都市環境工学の専門に進むことにしました。もっと社会や生活に近い分野を勉強したくなったんですよね。
———日本語はどのように学ばれましたか。
行く前は、日本語は全くわかりませんでした。国費のプログラムで、入学前に1年間、大阪外語大学(現在の大阪大学)に通うことができたので、そこで勉強してから、大学の入学試験を受けるという流れでした。
———東京大学の工学部は、日本でも入るのが難しい学部のひとつです。都市環境工学とは、具体的にどんなことを勉強していたのですか。
環境問題を専門にしていました。日本に来て感動したことは、環境が本当にきれいなこと。空気がきれいで、水道や排水処理も素晴らしいです。2011年の大震災後、地震で下水処理場が壊れてしまいましたが、復旧までには2年かかると。その間も処理はし続けなくてはいけないですから、簡易的かつ効率的な下水処理設備の研究・発表を行い、実際に稼働させていました。宮城県石巻市には8回ほど足を運びました。
———私生活はどのように過ごされていたのでしょうか。
家は、大学から徒歩3分の女性専用シェアハウスに住んでいました。私以外は日本人でしたが、学生や社会人など、いろいろな人がいて面白かったです。そこで出会った人にはとても支えていただき、今でも仲が良いです。食事は、納豆たまごごはんが大好きで、毎朝食べていました!最初は日本の味付けにあまり慣れず、ベトナムの味が恋しかったですが、生の魚もおいしいですし、日本の食べ物は大好きですね。寿司屋さんでもアルバイトしていました。自炊もしてベトナム料理をよく作っていましたが、シェアハウスの友人にいつも「食べさせて」と言われていました。
———卒業が近づき、ベトナムに戻る道、日本に残る道とあったと思いますが、日本での就職を決断された理由を教えてください。
最初はまだまだ勉強したいと思っていて、アメリカの大学院に行こうと考えていたんですが、卒業が近づくにつれて、学生としてではなく、社会人として日本とかかわりたいと思うようになりました。大学3年生のとき、アルバイトで東京水道局のJICAのプロジェクトに携わった経験も、日越関係について深く考えるきっかけとなり、経済のこと、日越関係のこと、もっと広い視野で見たいと思い、日本で働くことにしました。
———現在の会社を選んだ理由はなんですか。やりがい、将来の目標も教えてください。
理系の学部にいましたが、技術職につくつもりはなく、営業系の仕事をしたいと考えていたんです。海外展開・ベトナム・水事業というのをキーワードに就職活動を行い、幅広く事業展開を行う総合商社に入社を決めました。Sojitzは、ベトナムで最も古い外資系会社であり、そこにも縁を感じて。今はベトナムの工業団地の開発を担当しており、Long Duc工業団地も担当しました。Sojitzは海外志向の高い人がたくさんいて刺激になりますし、ベトナム人は会社に一人だけですが、自分がベトナム人であることは個性のひとつとして仕事に生かしています。近い将来、ベトナムではない海外に行ってさらに経験を積み、いつかベトナムで駐在員として働くことができたら、日本人の駐在員の方とはまた違うビジネスの仕方ができるのではないかと思っています。
———最後に、留学をめざす学生さんたちに向けてメッセージをお願いします。
若いうちにぜひ、いろいろなものを見ていろいろな経験をしてください。わたしも留学を体験したことは本当に良かった。日越関係もどんどん進展しており、チャンスはどんどん増えると思うので、ぜひチャレンジしてください。
Le Vu My Linh (24才)
立命館アジア太平洋大学国際経営学科卒業
KOKUYO Furniture株式会社
開発営業本部市場開発部営業グループ
———ベトナム人留学生受け入れ数が最も多い立命館アジア太平洋大学(以下APU)を卒業されています。この大学に留学しようと決めたのは何故でしょうか。
姉が一年間、東京の大学に交換留学に行っていたので、話を聞いて面白そうと思い、日本留学に興味を持っていました。APUを知ったのは、先輩からの紹介です。英語で学位を取得できるプログラムがあること、様々な国からの留学生がおり、多文化に触れられることが魅力で、APUに留学することにしました。
———APUがある大分県は、お姉さんが行かれていた東京とはだいぶイメージが違ったのではないでしょうか。
大分という地名は、それまで全く知りませんでした。福岡空港からバスに2時間乗るのですが、どんどん山の中に入っていって、霧も出てきて、日本といったら東京のイメージしかなかったので、ちょっとびっくりしました。でも大分は温泉がたくさんあって、日本人が温泉でみんな裸になるのには初めカルチャーショックを受けましたが、よく入りに行っていましたよ。
———英語の授業で卒業できるプログラムを選択されたのですね。
ベトナムでは英語をずっと勉強しており、授業は英語プログラムだったので安心感がありました。国際経営学科でビジネスマネジメントやマーケティングについて学び、卒論では日本とアメリカの報酬制度、待遇について考察、ベトナムのホワイトカラー層には何が適切かということを論じました。日本語は、最初は全くわからず、日本に来て初級からスタートしました。言語を勉強するのが好きだったので苦ではありませんでしたが、カタカナが難しいなぁと思いました。漢字もたくさんありすぎて、キリがないですよね。
———学業以外では、どんな活動をされていましたか。
日本の伝統にもとても興味があり、茶道部に所属していました。今でもたまに日本人に間違われることがあるのですが、茶道部での言葉遣いや所作が影響しているんじゃないかなぁと思います。着物を着ることもありました。また、APUでは年に一度「Vietnam Week」というベトナム尽くしのイベントをやるのですが、2011年のリーダーを務めました。200人のプロジェクトメンバーをまとめ、イベントを成功させたことが一番心に残っています。
———日本での就職を決め、KOKUYO Furnitureという会社を選んだ理由は何だったのでしょうか。
せっかく日本で日本語と日本文化を身につけたので、ベトナムに戻るなら日系企業で働き、日越の架け橋になりたいと思っていました。でも、それなら日系企業のベトナム支社ではなく、本社で働こうと。日本の会社もまた独特の文化がありますから、それを体験したいと思いました。KOKUYO ホールディングスとは、APUのキャンパスで行われた企業説明会で出会ったんです。業界はとくに絞っていなかったのですが、海外展開があり、男女関係なく活躍している印象を持ったので、応募しました。履歴書の書き方や面接の練習なども、APUがサポートしてくれました。
———現在入社二年目とのこと、日本で実際に働いてみていかがですか。また、将来めざしたいものはありますか。
営業なので、いろいろな会社に行っていろいろな人に会えるのが楽しいですね。日本人はYes, Noをはっきり言わない性格の人が多く、気持ちを読み取るのが難しいなぁと思うこともあるのですが。もちろん仕事は辛い部分もありますが、週末はベトナム人や外国人の友人と遊んで、リフレッシュしています。先日御蔵島というところに行って、シュノーケリングしながらイルカを見たのですが、とっても楽しかった!将来は、最終的にはベトナムに戻りたいのですが、その前にベトナムと日本以外の国も見てみたいですね。KOKUYOはアジアに大きな目標を置いているので、他の国に行ける可能性も十分にあると思っています。
———最後に、留学をめざす学生さんたちに向けてメッセージをお願いします。
マンガやドラマの中の日本しか知らない人が多いと思いますが、リアルな日本の姿をもっと知ってほしいなと思います。わたしも高校生のときはそうだったのですが、実際に来てみて、イメージがすごく変わりました。そのためにもぜひ、留学という一歩を踏み出してみてください。
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