ベトナムに惚れ込んだ元警察官
Tin 60s
2016年、警察官を辞めた金谷学さんは家族や多くの人たちから反対の声があったが、ベトナムでの新生活を強い気持ちを持って始めた。
金谷さんは大学卒業後、警察官となり捜査一課に配属され、埼玉県に住むベトナム人の事件を担当した。
英語が堪能だったため多くの事件を解決していたが、本人の想像していた人生とは違うと感じていた。
2012年に警察官の研修でベトナム語を学ぶことになり、2014年には数人の同僚とともに、ハノイ科学技術大学で2カ月間のベトナム語の講義を受けた。
ベトナムに到着して最初に感じたのは、人々のホスピタリティと親しみやすさだったという。
「私とコミュニケーションをとるとき、人々はいつも笑顔でした。日本で見られる厳しい、冷たい表情ではなく、幸せそうな表情をしているのです」と話す。
帰国後もベトナムのイメージが頭の中を駆け巡り、次第に「また行きたい」と思うようになった。
その後、10回ほどベトナムを訪れ、回を重ねるごとに滞在時間は長くなっていき、最後の訪問の後、「もう日本には帰りたくない」と思い移住を決心した。
同僚や家族が驚く中、2016年に辞表を書き、その数カ月後にはかつて警察署で教えていたベトナム語の教授が、ハノイのソフトウェア技術会社で働くために渡越の手続きを手伝ってくれた。
仕事内容は、翻訳とベトナムの日本人顧客との連絡業務だった。
しかし、最初の給料は家賃分くらいしかなく、警察官時代の貯金で生活費をまかなうしかなかった。
収入アップのため、情報技術研修に通い、人文社会科学大学のベトナム学修士号を申請した。
2019年3月、彼は労働力輸出企業の日本語研修センターの校長として就職した。
様々な困難に局面するも滞在が長くなるにつれて、この土地と人々が好きになっていったという。
さらにベトナムでの生活やここで日本語を教えることについて、日本についての知識を語るために、2019年から日本に興味を持つベトナム人をターゲットにした個人のYouTubeチャンネルを始めた。
始めた動機は、警察官時代に出会った刑務所に送られるベトナム人のたち少なくなるように、日本に住むベトナム人に役立つ情報を発信し、日本の文化や法律を理解してもらいたいという思いがあったからだった。
今でも警察署に連れて行かれたときのベトナム人の顔や目が今でも忘れられないという。
三脚と携帯電話だけでビデオ制作を始めた。当初は再生回数が10回にも満たなかったが、徐々に数を増やし、現在彼のチャンネルの登録者は6万8000人、その大半は日本語を上達させたい、移住する前にその国の法律を理解したいという人たちだそうだ。
年に2回、両親に会うために帰国しているが今では家族も外国で生活することに反対しなくなった。
ベトナムに飽きたから日本に帰るのかと聞かれることもありますが、私は『いいえ』と答えていますと語っている。
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